働いている時は、辛くもあるけど充実していて楽しいし、やりがいも感じる。
けど、これでいいんだろうか、って思う。
これは社会的に意義があるんだろうか、とか、
自分の暮らしとかけ離れているんじゃないだろうか、とか、
自分の人生と仕事ってどう考えたらいいんだろう、みたいに考えたりする。
そんな現代日本のビジネスパーソンの方も多いのかもですね今のこの世の中。世知辛いから。
世知辛いの意味知らないですけど。
そうそう、こないだすごく良い本見つけました。
「トルコ絨毯が織りなす社会生活」
トルコ絨毯が織りなす社会生活―グローバルに流通するモノをめぐる民族誌
- 作者: 田村うらら
- 出版社/メーカー: 世界思想社
- 発売日: 2013/04/02
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログを見る
ものすごいオススメです。
表紙の装飾もいい感じ。
ここんとこ数年、流し読みを含めるとコンスタントに年間100冊は本を読めているヒマ人なわけですが、この本はそんな中でもベスト3に入るだろう面白さでした。(フィクションな小説なんかとはまた違う意味での面白さね。)
高いけど。
内容自体は学術的な論文から生まれたものらしいですけど、すごく読みやすく書かれてるし、行ったこともないトルコの地を想像しながら読むとこれまた楽しくて、テレビでドキュメンタリーを観ているかのように、どこかリアルに感じられます。著者の筆力なんでしょうね。うらやましいな文章のウマい人って。
高級品として知られるトルコ絨毯を織っているのは、決して経済的には豊かとはいえないような女性達です。
けれども、絨毯を織ることは金銭を生むことの他にも、色んなことを意味し、色んな良い効果が現れているようでした。
もちろん良いこと尽くしってことではないけど、ビジネスパーソンには考えさせられることじゃないんでしょうか。
生産したモノ(絨毯)は、
売るためのモノになる。
自分たちの使用するもの(消費財)にもなる。
いつか売るための備えになる。
社会的な価値(威信等)になる。
嫁入り道具になって、再定義される。
生産がライフワークになる。
思い出にもなる。
これって、ものすごく重要な考え方なように思います。
いつの間にか、仕事っていうのは、お金を生み出すための手段として無意識のうちに考えてしまってたわけですが、そもそもは人間が日々を生きること、人生をまっとうすることの手段こそが仕事だった気がするわけです。
暮らしそのものが、仕事とは切っても切り離せない密接な関係をもつものだったのに。
トルコ絨毯を織るという仕事は、市場経済では末端な位置づけながら、ここで働く女性たちは労働ではない仕事をしてるように映ってきました。
日々の暮らしや冠婚葬祭などのハレの行事、人間関係など、金銭面だけの利益ではないことに対しても影響をもたらす仕事。
僕も先日の卒業制作で取り上げましたけど、贈与経済も金銭価値以外のものを生み出す経済でしたそういえば。
人口がおそらくとんでもないスピードで減っていくであろう日本は、経済成長ではなく、経済を維持しながら暮らしを回したり、縮小経済の中へと暮らしを適応させる必要があるんでしょうが、ここには間違いなくそのヒントがある、そんな本でした。
面白いですよ。
高いけど。
トルコ絨毯が織りなす社会生活―グローバルに流通するモノをめぐる民族誌
- 作者: 田村うらら
- 出版社/メーカー: 世界思想社
- 発売日: 2013/04/02
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログを見る