転ぶと三年で死んでしまう、なんて言われている京都 東山の三年坂(産寧坂)。
なんとも恐ろしい話ですが、
調べてみると、あの世だとか、妖怪だとか、そういうものにも接点があったのでした。
妖怪「鵺」がいた
この三年坂の地には、鵺(ぬえ)という妖怪が埋葬されたといいます。
平安時代の「源平盛衰記」によるとその鵺というのは、背が虎で足が狸、尾は狐などともいわれる、得体のしれない妖怪とされています。
平安時代の末期、平清盛が清水寺に参籠していたときのこと。その深夜に、鵺と思われる怪鳥があらわれました。
この鵺を清盛が捕獲して、葬ったのが、三年坂の途中に存在していた毛朱一竹塚(もうしゅいっちくづか)だと言われています。
あの世との境界
同じく平安時代には、この三年坂の地は「鳥辺野(とりべの)」という地域の北のはずれにあたります。
鳥辺野というのは、京都の葬送地として有名です。
「坂」というのは「境界」であるということから、この地はあの世とこの世の境界とされていたよう。
そういえばお隣の六原地域にも、六道珍皇寺*1や子育て飴*2があったりしますね。
こうしてみると三年坂というのは、清水寺の参拝の道をつなぐだけではなく、あの世とこの世をつないだり、妖怪と人間をつないだり。
三年坂って何かをつなぐ役目をもった地なのかもしれませんね。
変えない良さと変わる良さ
さて、日本三大随筆のひとつ、鎌倉時代の「徒然草」には、この鳥辺野(鳥部野)が出てきます。
あだし野の露消ゆるときなく、鳥部山の煙立ち去らでのみ、住み果つるならひならば、いかにもののあはれもなからん。世は定めなきこそいみじけれ。
この一文、現代語にするとこのような感じでしょうか。
鳥部山の煙が消えないでいるように、人が永遠にこの世に住み続けるのなら、情緒というものがないことだろう。この世は無常だからこそ素晴らしいのだ。
無常観を表した一文です。
三年坂も、今でこそ伝統を残すために「変えない景観」などがある一方で、その時代時代によってどんどんと変わっているのは間違いありません。住む人も、石畳も、まちなみも。
それは無常。だからこその素晴らしさもあるんでしょうね。