歳も歳だからか、
最近は同い年ぐらいの人と喋ったりすると、
たいがい
仕事の話、
結婚の話、
子供の話、
家の話。
持ってる価値観は、それぞれ話す人によって違うから、話してるだけで面白いけど、
ありきたりが好きではない僕にとっては、ちょっと変えたいなぁと思うところも正直あったり。
別に誰とでも話す内容を合わせられるように、広い引き出しを持っておくってことを望んでるわけじゃなくて、
自分の知っていることと、相手の興味のあることの共通点を見つけて繋げること、
その場でそんなことが出来たりしたら、また違った感じになったりするかも。
まぁ、建設的な話をする必要があるときもあれば、たわいもない雑談をダラダラと話していることに意味があるときもあると思うんで、
そんなことを意識するのもナンセンスな場合もあるんかな。
そんなことはさておき、
大学卒業してから、全然会ってなかった友人と会える機会があったので、
ゴハンを食べに行ってきたわけで。
6、7年ぶりぐらいに会う感じやったので、
変わってるかな〜、と思ってたりしたけど、良い意味で全然変わってなかった。
若いなオイ。
ただ、
僕の頭が弱いだけなのか、人間の記憶なんて曖昧なもんなのか、
声とか喋り方とか、そんなことは悲しいかな、
あんまり覚えていなかったりするもんで、
喋ってるうちに、あーそうそう、こんな感じやったなぁ、みたいな。
覚えてなかった悲しさと、思い出せた嬉しさと。
そんなこと考えてて、ふと、
人から感じられる雰囲気とかオーラっていうのは、
性格であったり、価値観とかだけじゃなくて、
声のトーンとか、喋り方とか、口調とか、仕草とか、
実はそんなことの方が大きいんじゃないか、的なこと思ったりしたわけで。
性格とか考え方とは違って、
人との接点な、外観やら喋り方なんてのは、
直接的に言葉じゃないコミュニケーションがとれるところ。
外観は大事っていうのは思ってたけど、それ以外は気づいてなかったなぁ。
歌ってたりする趣味がら、歌を録音する機会もあるので、
僕は自分の喋ってるところを聞く機会があったりするわけですが、
なんせひどい。薄っぺらいというのか。
今まで意識してなかったけど、もうちょっと声とか喋り方とか、
意識して変えれるものなら、
なりたい自分になれる一要素やと思うんで、
変えていきたいなぁ、なんて思ったわけです。
何が言いたいのか、っていうと、
いやー、久しぶりに会えて良かった。
ってこと。
写真撮れなかったことだけが、ホント悔やまれる。
カメラ持ってったのに。