ガラスを溶かしています。
という話は後でするとして、
相変わらず、仕事なのか遊びなのかわからない活動をする日々です。
ライスワークとライフワークとでも言うのか。
それらをごちゃごちゃにして「しごと」と言うようにしています。
しごと。
そのしごとの一つとして、「見過ごされたものごと」や「見捨てられたものごと」をそっとすくい上げるというテーマでの活動をしています。
僕のデザインの、一つのテーマです。
ものづくりをしていると、「本当にこれ要るんだろうか?」という問いと戦い続けることになります。なるようです。なっています。
他にもあるじゃん、とか、そもそも不要だよね、とか。
自問自答の日々です。
そして、悲しいことに、だいたいのものは要らないという結論に達することが多いです。僕の場合は。
そんな中で、明確な答えが見つかっているわけではないですが、「見過ごされてきたものごと」に至りました。
見過ごされたり、見捨てられたりしたものごとの中には価値はもう無いのだろうか、と考えたときに、魅力や価値はまだまだありそうだと感じています。
たとえばそれは、時間がなくておろそかにしがちな「日々の暮らし」の中にこそ幸せのひとかけらがあるようなイメージ。
小さかろうが、幸せがそこにあるのに、見過ごして日々を過ごしている人が沢山いるなぁと。
山に行ったときに、捨てられていたガラス瓶を拾いました。
とてもキレイなものでした。
バーナーで溶かしてみると、ものすごくキレイでした。
捨ててるけどキレイだな、と。
キレイなのに捨ててるんだな、と。
この魅力をすくい上げることはできないかな、と。
そういう想いの活動。
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