工業化により、技術が発達した現代社会。
技術によって経済的に発展した日本は、一方で、
視覚的にも、聴覚的にも、ノイズに溢れた環境になってるわけで。
騒音なり、商業的な広告物なりサインなり。
はたして良いのか、この状況。
一つ。
大きく、自然環境という視点で見た場合。
騒音は、技術が排出しているものの一つ。
もともと自然の中にある音って、
それぞれが何らかの意味を含んでるんじゃないかと思うけど、
それをかき消してしまってるわけで。
技術は自然を加工するものだとしても、
所詮、人間も技術も、自然の中でしか存在できないわけで。
自然は越えられないわけで。
とすると、もっとこれまでにあった音に耳を傾けた方がイイんじゃないか、なんて。
一つ。
街の景観という視点で見た場合。
氾濫する、様々な色、形の看板やサイン。
他より目に付くもの、わかりやすいもの、っていうことを繰り返してきた結果。
逆にシンプルにして差別化を、っていうものもあるけど、
結局はそれも同じ目的のもので。
もちろん経済活動のために差別化は必要としても、
それによって視覚的な景観が低下するというのはどうなのか。
会社の個性も大事とはいえ、
それ以前に、日本の魅力、その土地の魅力を向上させる、
あるいは、少なくとも低下させないというルール以前の、
モラルをもって動いた方がイイんじゃないか、なんて。
何もわかってない人間の、ただの偉そうな意見になってしまってるけど、ふと。
ふと、ね。