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イリモノづくり

要るものつくろう。イリモノづくり。デザインしてます。

「普通のデザイン」の読書メモ

デザイン 本・映画

京都造芸大の通信、空デでは、建築関係のものからジュエリー、空間のインスタレーションなど、色々なデザインに触れさせてもらえるシラバスになっているので、自分の視野が広がったり、凝り固まらずにデザインができてありがたい限り。



一方で、各分野のデザインに関しては、そこまで深くは掘り下げられないので、そこからは自分で進めていく必要があるなというのが2年間での実感。

まぁ、どの分野・学科であっても結局はそうなるんだろうけども。



掘り下げていくキッカケとして、有名なデザイナーの方々が、どのように考えてデザインをしているのか。また、各々のデザインにはどんな目的・意味があって、どんな歴史・文化の上で作られてきたものなのか。

そういうことは、自分が、あるいは自分たちが、これから未来のためのデザインを行っていくにあたっては重要な部分だと思うので、そのあたりは本を読むことで、知識をつけていけたら良いなと。



この「普通のデザイン」もそんな中の一冊。

普通のデザイン―日常に宿る美のかたち

普通のデザイン―日常に宿る美のかたち



いわれてみればここ数年、海外に紹介される日本のインテリア・デザインの多くは、他の国のデザインに比較して特徴的であることを認めざるをえません。
だとしたら、日本的なものとはいったい何なのか…、それはなぜ日本的であるのか…

京都に住んで、京都の大学に関わっていると特に、日本的なデザインや伝統を大事にする風潮を強く感じる。
日本的なデザインにする必要はあるのか、伝統はこれからの生活に必要なのかと、最近よく考えたりしながらも、納得できる答えが出ていなかったので興味深い内容。


永遠の生は、多くの民族が求めた願いです。たとえば中国では不老長寿のための神仙術が生まれ、西洋では錬金術が育まれました。ならば日本人は、何を考えたのでしょうか。「いま」という時間を止めることができないものかと考えたのです。それは「永遠のいま」をつくり出すことでした。

「無常」や「変化することが永遠」という考えによって、日本の茶室的な、シンプルな場所で、時と場合に応じて空間を変化させる。ということに繋がるらしい。


日本文化の重要なキーワードは「いま」という時間と空間です。「いま」は、水の流れのように澱むこともなく、また汚れることもない瞬間なのです。日本の文化が強固な構築性を嫌うのは、ものは構築された瞬間から、朽ち果て、汚れはじめると考えるからにほかなりません。

日本の住宅は他の国と異なっていて、購入した瞬間から、価値が右下がりにしかならない。これは、人の使ったものを使うということが嫌だからではなく、文化的に、朽ちていくという概念が存在しているからなんだろうか。


しかし日本の仕切りは、きわめて「装置的」です。「柔らかな仕切り」ともいわれますが、「認識としての仕切り」でもあります。

うっすらと気配や光を感じる障子とか。


…仮想空間ならではの美の世界をつくり出します。…それは非日常空間だからこそ生まれる超越した世界です。…一段高く芝生が敷かれた場の四隅に青竹を立て、注連縄が張られます。そして台座としての敷板がすえられて「結界」が設けられます。

 

そして空間の自由を可能にするのが、「見立て」に代表される日本固有の方法感覚でした。何かによって別の何かを連想させるという方法は、たとえば自然のなかに敷かれた一枚の布が室内をあらわし、「野だて」のような茶の湯の儀式を成立させます。

「見立て」は日本固有の感覚というのが新鮮。デザインとしてこれから活かしていける感覚であり文化だと思う。


このような「水平間隔」を生み出したのは、「意匠の直線性」です。日本のデザインの固有性は、その直線性にあると思われます。それは日本建築が徹底的に木造であったことがかかわっています。…装飾性の少ない住宅建築において、その直線性そのものを意匠にまで高めたのが日本のデザインだといえるでしょう。

確かに日本デザインは有機的なラインが少ないと思う。面白い。
何かの本で、「日本はインテリアデザインが他の国と比較するとはるかに遅れている」っていうのを見た気がする。そもそも日本は建築自体がインテリアデザインであったために、ファブリックや家具でデザインしていく必要性がなかったんだろう。


しかし情報化社会の発達は、…そしてそこに浮かび上がったものは皮肉にも、「世界は決して画一的なものでもなく、近代が求めた合理性とはおよそかけ離れた習慣や儀式などが、いまだに生き生きと今日の生活に反映している」という事実でした。文化は固有的なものです。そしてその固有性こそが人々の暮らしを支えているのです。

 

しかし本当に装飾とは無意味なものでしょうか。装飾がどれほど私たちの心を豊かにし、大きなイメージをつくり出してきたかを、あらためて考えなくてはなりません。純粋装飾とは、一切の機能的な価値から離れ、人間の内面に作用して、見えない世界と触れ合うことを可能にするものです。

デザインに装飾は不要で、合理的であるべきだと、空デに入るまでは思っていた。今は、装飾も必要かもしれない、と思っているけど、その理由はわかっていなかった。
合理的ではある方が良いけど、装飾も必要で、それは目的のための機能面ではなく、心を満たすためだということは言われて納得。


誰でもどこでも使えるようなものは、ものと人間との交流を薄くします。…ガラスは落とすと割れるからこそ、人は丁寧に扱います。そして、人はものに愛着を感じることになります。…そうした経験こそ、人とものとの触れ合いになるのです。

これもそうか。割れないガラスがあれば、割れるガラスは要らないかというと、そうではないのかもしれない。



普通のデザイン―日常に宿る美のかたち

普通のデザイン―日常に宿る美のかたち