デザインを学ぶことで、どうなるのか。何のために学ぶのか。
振り返ると、「かっこいい」という単純な動機から学び始めることになったデザインの世界。
で、学ぶうちに、これからの時代はデザインが必要であると、感じたり目にしたりしたわけで。
学ぶ道を選んだことにほっと一安心。
ただそれは、競争社会の中で企業が存続し、成長していくための手段としてデザインが必要であるという視点。他の製品よりも付加価値としてデザインが必要である、と。
そんな見方にすっきりせずに過ごしていた時に、大学の図書館に新しく置かれていた「デザインへのまなざし」を読んだ次第。
デザインへのまなざし―豊かに生きるための思考術 (芸術教養シリーズ―私たちのデザイン)
- 作者: 早川克美
- 出版社/メーカー: 京都造形芸術大学東北芸術工科大学出版局藝術学舎
- 発売日: 2014/04
- メディア: 単行本
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つまり、デザインの考え方やプロセスを学び、それを取り入れることで、自立した意識をもち、日常を健全な意味で「マイペースで豊かに」生きるために、デザインを学ぶのです。
デザインを知ることで、新しく創造ができるようになるということ。
デザインを知ることで、そのモノ・コトの成り立ちを理解できるようになり、自分や人との関係がわかるということ。
結局のところ自分や周りの人たちが幸せに生きるためにデザインっていうのはあるのだなぁ、と。
どの分野でも、同じことは言えるのかもしれないけれど、デザインっていうのは「人の視点に立って、新しく創造していく行為」という視点なんだろう。たぶん。
生活必需品としての照明器具を考えた時、たしかに電球の交換がしやすくなることはひとつの有益な気づきではありますが、漸進的な改善だといえます。一方で、仕事に疲れた彼女をいかに癒すことができるのか? という情緒的な問いには、照明器具を生活必需品として考えるのではなく、ライフスタイルと灯りの関係を考えるという視点があります。そこには急進的イノベーションとしての新しい意味の生成がみられます。
前者が「ユーザー中心主義」で、後者が「デザイン主導主義」。
多くのメーカーは新製品でも「ユーザー中心主義」しかできていないし、それすら出来ていない企業があるのも事実。 ウォークマンやiPhoneなど、俗にいうイノベーション製品は「デザイン主導主義」から生み出されたもの。 要は、急進的に、豊かで新しい未来を創るのが「デザイン主導主義」で、漸進的に今をより良くする「ユーザー中心主義」ということらしい。
本の中では21世紀になって出現したデザイン領域がある、ということも書かれていた。
- コンセプトデザイン「人 + コト」
- コミュニティデザイン「人 + 人」
- ユーザー経験デザイン「人 + 情報」
これらの新しいデザイン領域に共通していることは、二十世紀型の領域の成立要因 = 産業〜効率〜職能ではないということ、人間とモノ・コトの関係性やそれによって生じる行為によって生成されているという点です。
効率を求めて、分業・専門化されてきたデザイン領域。ただ、ユーザーである人は、それらを分けて意識するわけではないので、どこかで破綻してくるわけで。
そうなると、専門化された分野をつないだり、全体として捉えて創造していく必要が出てきた、というのがおそらく今の時代。
ある一つのモノのデザインをするだけでも、それに付随する行為や生活、しいてはユーザーに関する周辺環境や人間関係までも考慮してデザインしていく必要があるんだろう、ということだと感じる。
デザインへのまなざし―豊かに生きるための思考術 (芸術教養シリーズ―私たちのデザイン)
- 作者: 早川克美
- 出版社/メーカー: 京都造形芸術大学東北芸術工科大学出版局藝術学舎
- 発売日: 2014/04
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