日本古来の季節の表し方には、春夏秋冬の四季だけじゃなく、二十四節気だとか、七十二候なんていう表し方もあるってことを最近知って。
今、考えている、日々の暮らしの中で「無常」や「変化」の感じ方っていうのを変えていくことが必要なんじゃないか、ってことにダイレクトに繋がる気がして。
なぜ春夏秋冬だけでなく、一年を七十二個にも分けたんだろうって、調べたわけでもなく考えてみた。
現状での仮説としては、きっと、昔の日々の暮らしの中での愉しみのつくり方だったんだろう、と。
昔は今よりも「ハレ」と「ケ」がくっきりと分かれていて、そして「ケ」の期間が非常に長い暮らしだったんだろうと思う。
今のように、エンターテイメントをお金を出して欲しい時に気軽に購入する、なんていう「ハレ」の時間はなく、一年に何度かだけの祭りごとのために、日々の「ケ」を過ごしていたんだろう。
そんな長い長い「ケ」の中で、どうやって日々を愉しむかっていうと、移り変わる日本の気候を取り入れたんだと思う。
次々に移りゆく風景や、旬の食べ物、動物の様子を感じることこそが、暮らしの中の愉しみのつくり方だったんじゃないだろうか。
「ハレ」を好きな時に好きなだけ手に入れることができる現在は、愉しみをつくり出すんじゃなく、お金で買って手に入れている。
「ハレ」は一年に何度か、っていうレベルじゃなく、毎日、ヘタすると数時間ごとに手に入れることができる。
「ハレ」をより愉しく演出するための「ケ」はわずかな期間しか無くなっている。
そのことが心の平穏を削ったり、刺激に飽きたらずより強い刺激を求め続けてしまう要因になっていたりもするんじゃないだろうか。
日本人の感性に合った愉しみ方を、もう一度感じてみてもいいんじゃないだろうか。
なんてことを思って、日常の中に二十四節気や七十二候っていう時間の感じ方を取り入れられないだろうかと、考え始めたりしてみました。
日常で繰り返されている事柄(ケ)に対して、移り変わる季節感を取り入れるデザイン。
浮かんだ「七十二候 入浴剤」案のアイデアスケッチ。