イリモノづくり

デザインは身近にありました。要るもの作ろう イリモノづくり。

創造的な暮らし

創造性とは、なんだろうか。

創造性であれ、とよく言われる時代だと思う。

ゼロから価値を生み出すだとか、付加価値をつけるだとか、そういうことが創造的であって、そういうことがクリエイティブなんだろうか。

いや、まぁ、確かにそういうことなのかもしれないけれども、それって「日本の経済のために」っていう目的での、商業的、ビジネス的な創造性な気がする。



なぜ創造性が無いとダメなんだろうか。

創造性が無いと、日本は他の国に負けてしまうから。だから創造性が必要なんだろうか。

創造性が無いよりも、創造性があった方が、「より良い暮らしができる」し、「人生が充実する」し、「自然環境が良い方向に向かう」。だから、創造性が必要なんじゃあないんだろうか。




日本人は歴史の中で、世の中は無常である、と考えた。
世の中は常に一定なわけじゃなくて、世の中は常に変化していくものだ、と。

祗園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、
盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、
唯春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、
偏に風の前の塵に同じ。


日本には四季があり、季節も変わる。木で作られた家は、石でできた家のようには永くもたず、変化する。そういう環境もまた、「無常」を感じさせる一因としてあって、その「はかなさ」を美意識として持つようになってきた。



その価値観を受け継いできた僕たちは、不変じゃなく、変化することが、心を満足させることに繋がるんじゃないんだろうか。
これまでとは違った「変化」をもたらすために、これまでに無かったものを生み出すという「創造性」が必要なんじゃないんだろうか。
だから創造性は必要で、創造的な暮らしができれば、心を満足させたりして人生が充実したりするんじゃないだろうか。



高度経済成長の頃からの日本は、あらゆるものが簡単に手に入る時代で、あんまり何も考えなくても、不自由なく暮らしていくことができている時代だと思う。
でも一方で、心の病気は見過ごせない社会問題になっている。不自由ない生活と、心が満足している生活は違うものなんだろう。
消費していればいい時代はもうとっくに終わっていて、日本人の価値観や美意識にあった、変化をもたらす創造的な暮らしが、この社会に必要な暮らしじゃないかと感じた。



卒業制作も一段落したし、次のテーマは「創造的な暮らし」にしようかな、と思っています。